アトリエ訪問 NYC:野田正明

作品について説明する野田氏(左から2人目)

作品について説明する野田氏(左から2人目)

世 界のアートの中心地、ニューヨーク。そこに拠点を置き活躍するアーティストのアトリエを直接訪ね、作品を見せてもらいながら話を聞けたら、ということで 「アトリエ訪問NYC」が企画されました。一般から参加希望者を募り、少人数のグループで出掛けたイベントの第一回は、ニューヨークに住み、アメリカのみ ならずギリシャや日本、中国など様々な国で活躍するアーティスト、野田正明氏のアトリエを訪ねました。

野田氏の住居兼アトリエがあるのは ニューヨーク、マンハッタンのソーホー地区。70年代にアーティストたちが続々とアトリエを構え出した後、80年代90年代には「メアリー・ブーン」「レ オ・キャステリ」といった華やかなギャラリーが軒を連ねた画廊街。現在は地価の高騰により、洒脱なブティック、レストラン、カフェといった商業施設に圧倒された 感はあるものの、ソーホー独特の建築様式であるキャストアイロン・ビルの趣と、ポツポツと残る「ドローイング・センター」や「DIA アートファンデー ション」といった良質のアートセンターの存在のせいか、今もどこかクリエイティブな雰囲気が漂っています。多くのアーティストにとってはもはや高嶺の花と なってしまったそんなソーホーの真ん中に野田氏のアトリエは位置します。

アトリエ内の棚

アトリエ内の棚

エ レベーターで5階まで上がり、住まいの部分(リビングルーム)を抜けて、アトリエに案内してもらうと、まず目に飛び込んでくるのは高い天井まである棚に置かれた無 数の彫刻。紙、粘土、金属などで作られたこれらの小品は、アーティストの発想と試行錯誤をそのままダイレクトに形にしたもの。近年は毎年のように日本をは じめ、ギリシャ、中国などに大掛かりな彫刻のモニュメントを設置している野田氏、ひとつのプロジェクトの完成のためには、こういった紙の小品を10から 20作り、その後アーティストの模型を元に金属加工会社によって金属の小品も平均5個ほど作られるとのことです。

ギリシャ各地に設置された 彫刻を写真を交えてアーティストが説明。タイトルにはヘルメス、アポロなどのギリシャ神話に登場する神々の名や、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)といっ た歴史上の人物の名前がつけられています。そのことに質問が及ぶと、野田氏は作品を制作するにあたって歴史をしっかりと勉強し、まずその地の文化やなりた ちの理解につとめるとのことでした。

天井まである棚には無数の小品が並ぶ。

天井まである棚には無数の小品が並ぶ。

現 在は彫刻作品を多く手掛ける野田氏ですが、もともとは版画家としてアートのキャリアをスタートしました。大阪芸術大学を卒業後、「自分が本当にやりたいと 思う作品を作っていても、日本では正当に評価されない」と痛感し、1977年に渡米。ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグにて学び、様々な仕事 をこなしながら、ニューヨークにアーティストとしての足がかりを築いていきます。「今のギャラリーでは考えられないけれど、昔は作品を直接ギャラリーに持 ち込めば見てもらえた。いい時代だったんだね。」ニューヨークのコマーシャル・ギャラリーに作品を直接持ち込んでは見せて回り、その結果、ニューヨーク市内のみならず全米各地40軒以上のギャラリーやディーラーが野田 氏の版画を扱うことに。作品は順調に売れ、アーティストとしてやっていく自信と経済的基盤が確立しました。

20代の頃に日本で制作した版画作品を参加者に説明する野田氏(左)

20代の頃に日本で制作した版画作品を参加者に説明する野田氏(左)

版画家として順調にキャリアを築く 一方で、多色刷りの作品を一枚仕上げるのにかかる膨大な時間とそのプロセスにフラストレーションを感じるようになり、またその内容においても、もっと動き のある立体的なもの、シンメトリーではないバランスを表現できないかとの葛藤が常にあったといいます。そうして鉛筆でのドローイングや水彩画も含め二次元 の作品に取り組むうちに、そこにより深い空間を生み出したいと、実際に立体模型を作り、それを元に絵を描き始めます。それが現在の彫刻作品の始まりだった とのことです。

版画、水彩画、ドローイングなど、様々な年代、媒体の作品を見せる野田氏(左)

版画、水彩画、ドローイングなど、様々な年代、媒体の作品を見せる野田氏(左)

サ モトラケのニケのような古代ギリシャ彫刻からジェームス・タレル、ウォルター・デ・マリアといった現代のコンセプチュアル・アーティストの作品まで、自分 が興味を引かれるもの、気になるものはなんでも見るという野田氏。その中で時代に流されることなく、自分らしい表現を追求したいと強調します。

また一人で黙々と制作していた頃とは違い、技術者や加工会社など他の人達と共同で作品を 作り出していくことが多い今、その過程でどうしても思いがけないアクシデントが生じるとのこと。「アクシデントは大歓迎。人間の頭が考えることには限界がある。それを突き破るのがアクシデント。うまく見極めれば、新しいきっかけになる可能性を秘めている。」そう言います。その柔軟さは平 面から立体へ、立体から平面にと自由自在に試される作品展開を生んできました。金属の彫刻の小品を元に、今度はそれを鉛筆でのドローイングに、次は金属の 作品そのものをスキャンし、コンピューター技術者と共に写真ともコンピューターグラフィックともいえるような全く新しい平面作品に。現在このアイデアを元にしたパブリックアートにも取り組んでいるそうです。

金属の小品群

金属の小品群

金属の彫刻をモチーフにしたドローイング (写真提供:野田正明)

金属の彫刻をモチーフにしたドローイング (写真提供:野田正明)

金属の作品そのものを直接スキャンし、コンピューター技術者と共に作っていった平面作品について説明。

金属の作品そのものを直接スキャンし、コンピューター技術者と共に作っていった平面作品について説明。

次々に飛び出す参加者 からの質問に、野田氏は実際の作品を見せながら、自身の作品がどう展開してきたか、そして根底に流れる「自分の表現したいもの」について語ってくれました。「結果的には長い版画制作時代の時間的拘束、表現への縛りなどのフラストレーションが、反動としてその後の自由な表現方法に繋がってきたと思う。」

またアメリカのアートシーンの厳しさについても野田氏はこう言及します。「40軒以上のギャラリーがついた頃は、これで安泰と思っていたが、アメリカのアートシーンの厳しさ。今では当時の画廊で残っているところはありません。版画だけを続けていたらNYへ居続ける事は出来なかったと思う。そしてプロジェクトが大きくなるにつれ、益々感じるのは人と人とのコミュニケーション、信頼関係がいかに大事かということ。」今では国内外のアート・プロデューサー、ニューヨーク市内は信頼のおけるギャラリーなど数をあてにせず、信頼関係でしっかり繋がっているとのことです。

このアトリエで35年間制作してきた野田氏、これからもここから世界に向けて自由にそしてエネルギッシュに作品を発信させていくことでしょう。

野田正明

広島県出身、大阪芸術大学を卒業後、1977年に渡米。アート・ステューデンツ・リーグにて学ぶ。ニューヨークを中心にアメリカ、日本、中国、台 湾、ヨーロッパで個展を開催。版画家としてキャリアを築いた後、近年は野外彫刻等、モニュメンタルなステンレスの立体作品のプロジェクトにも取り組み、ギ リシャ各地、中国、日本に設置。代表作に「マラソンの闘い2500周年」を機にギリシャ、マラソン市より依頼され制作した「ヘルメスの精神」、広島市現代 美術館彫刻公園へ設置された「疾風—フラッシュバック」、アテネのギリシャ・アメリカン大学に永久設置された彫刻「ラフカディオ・ハーンの開かれた精神」 などがある。