林亨:Travel Agency Garden: A Manhattan Tour

TH4

2001年6月14日 ー 7月14日

展覧会ディレクター:清水敏男

キュレーター:富井玲子

アーティスト:林亨

林亨は、心にしみるイメージを創るコンセプチュアリスだ。

至近距離で見れば、今回の出品作品も、ただ白い虚空間に印された数本の線に過ぎない。それなのに、繊細な表現にもかかわらず、しっかりと描かれた木々には、ほんわかと優しい印象が漂うし、カンヴァスに描かれた謎めいた記号のような「名所絵」に、最初はビックリさせられるものの、やがて楽しい気分になってくる。

1963年神戸に生まれた林のアートとの出会いは二十歳のときだった。ある日、たまたまファッション・イラストレーター、長沢節のドローイングを雑誌で見掛ける。この出会いを通じて、この後1987年に林はセツモードセミナーに入学、ついには某総合研究所のシステム・アナリストとしての職からも離れることになった。1990年、絵の基本を学んだ林は離日、ニューヨークに向かう。アーティストへの道が厳しかったのは言わずもがな。自分の表現を求めて、林は様々な媒体に手を染めた。コンセプチャル系の作品が多かったが、なかなかピンとくるものがない。

そんな林が壁を突き抜けるきっかけとなったのが、1998年1月に開始したドローイング•シリーズ、(Equivocal Landscape/あいまいな風景)である。作家が語るところでは、当時「たまたま木を描いてみたかった」。コンセプチュアリストらしく、毎日木のドローイングをする、という課題を設定し、1冊140シートのスケッチブックを用意した。今では6冊に突入しているが、これらのスケッチブックをめくっていくと、1本、2本、時には何本もの木々の日々の情景らしきものが活き活きと描出されている。物思いにふける木、うろうろする木、抱き合う木、おしゃべりする木、手を差し延べる木、遊ぶ木、等など。おそらく2冊目に差し掛かった頃だろうか、作家はこのシリーズが一種の自画像になっていることに気付いた。つまり、木が2本並んで「林」という訳である。3年を越える息の長いプロジェクトへと発展しえたのも、この発見が大きかったことは否めない。

2000年3月、林は<トラベル•エージェンシー•ガーデン>を設立した。これは、コンセプチュアルな(つまり架空の)会社で、CEOたる作家の弁によれば「別形態の旅行」を提供するのが事業内容だという。同社の企画第1弾は<View to: A Manhattan Tour/眺め眺めませマンハッタン•ツアー>。自由の女神からグランドセントラル駅まで、ニューヨークの観光名所を12ケ所ほど取り揃え、顧客層は地元住民に絞っている。タイトル板がつかなければ何がなんだか分からないほどに抽象化された風景は、地元名所を知り尽くしたニューヨーカー達を、作家の心眼を借りながら見慣れた街を再体験する旅へと誘う事だろう。

評論: The New York Times, July 6, 2001, by Roberta Smith

TH1 TH2 TH3 TH5 TH6

Zhou Tiehai: Placebo and Tonic (ザオ・ティエハイ:偽薬と強壮剤)

ZT3

2001年4月26日 ー 6月2日

キュレーター:清水敏男

アーティスト:ザオ・ティエハイ

イセ文化基金アジアアートシリーズ第4回は、上海のアーティスト周鉄海(Zhou Tiehai)です。周鉄海は上海大学美術学部で学んだ後しばらくは作家活動を停止していましたが1990年代半ばに作家活動を再開します。それは欧米のジャーナリスト、キュレーターの間で中国現代美術に関心を持つ人々が現れ始めた頃のことでした。

周鉄海は国際舞台に中国人作家が登場しつつあった当時の状況を注意深く観察しました。そこで気付いたことは、中国現代美術は欧米の主流を手本に西欧美術に喰い込もうとしているが、それは本当の美術として受け入れられている訳ではない、中国現代美術の役割とは、欧米において偽薬(Placebo)のような働きをする事ではないか、ということです。つまり、効き目の無い(=主流の美術ではない)が、薬だと言って医師が処方すれば効いてしまうこともある代物と同じなのです。

20世紀末の10年は、倦怠感に包まれた西欧美術が自分自身を治療するために世界各地の美術を渉猟しはじめます。アフリカ、アジア、アセアニア、アメリカなど世界のすみずみまでジャーナリストやキュレーターは出かけて行き、それまで西欧の規範では美術とされなかった呪術から西欧と各地の伝統を混合した美術、ローカルな近代美術にいたるまで、さまざまな表現を求めてアーティスト探しに躍起になりました。 それらは西欧の伝統が築いてきた美術とはほど遠いものでした。しかし西欧人は偽薬であろうとも、それを飲まずにはいられないほどの健康状態だったのです。周鉄海はその事情を知った時から上海に工房を築き、偽薬を世界各地に送り始めました。周鉄海の仕事はいかなる偽薬を生産するかを決める市場調査、偽薬の設計技師、生産工程の管理者です。世界のどこにどのような偽薬を送り込めば効果があるかを常に考えながら、携帯電話を手に上海で日々多忙に過ごしています。この偽薬は主に駱駝(キャメル)の姿をしています。

ところでもう一つの薬は強壮剤(Tonic)です。これは最近周鉄海が製造を始めた薬です。中国人が毎日健康のために飲む民間薬。こちらは効き目があることになっていますが、しかしそれもまた心理的な効果の方が大きな薬ではないでしょうか。この薬は、西欧かを恐れる中国人、西欧化に乗り遅れた中国人に効き目がある薬です。こちらの薬は伝統的な中国水墨画の姿をしています。しかし良く見ると現代化された絵画はアクリル絵具でキャンバスに描かれています。やはり、伝統的な強壮剤も西欧化の波に勝てないようです。

今回、周鉄海は初めて偽薬と強壮剤の効き目をニューヨークで試します。

評論:The New York Times, May 25, 2001, by Holland Cotter

ZT1 ZT4 ZT2 ZT5 ZT6

Chatchai Puipia: Paradise Perhaps(チャチャーイ・プイピア:多分天国)

CP7

2001年3月8日 ー 4月14日

キュレーター:清水敏男

アーティスト:Chatchai Puipia (チャチャーイ・プイピア)

イセ文化基金アジアアートシリーズ第3回は、チャチャーイ•プイピア(1964年生まれ)です。

タイでは1980年代後半から1990年代初めにかけて国際的美術の動向に呼応した新しい美術運動が起きました。それまで世界の周縁にあって現代美術の動向と無縁だったタイでも、若いアーティストたちが冷戦後の新しい世界的美術運動に加わるようになりました。

タイは1980年代後半からアジア経済圏の発展、日本企業の進出に伴い急激な社会変化を迎えていました。タイ社会はそれまでの農村共同体的社会から工業社会、都市型の生活へと変貌して行きました。バンコクには高層ビルが建ち、道路には自動車があふれ、都市生活の様相は一変しました。若いアーティストたちの新しい美術運動はこうしたタイの新しい現実に呼応したものでした。そこには冷戦の終結、グローバル化の時期が重なり一挙に国際的な美術シーンと結びついたのでした。チャチャーイ•プイピアはそうした新しい動向を代表する画家です。チャチャーイは急激な変貌を遂げたタイ社会を生きる人間の心情を自分のポートレートに託して描写します。そこに映し出されるのは急激な変化に驚くタイ人、あまりの変化に気が触れたかのようなタイ人、新しい時代の意味を考えるタイ人です。またタイ社会の変貌を水や象に象徴させて描いた作品もあります。装飾的な絵画が多いタイ美術にあってチャチャーイの表現主義的な絵画は異色な存在です。近年では表現は幻想性を増してきました。幻想性のなかに現代を生きる人間の心の葛藤と平安への道を描き、より普遍的な人間存在について思いを広げています。

ニューヨークでは1996年にアジア•ソサエティーの「Traditions/Tensions」で紹介され、チャチャーイの作品が展覧会カタログの表紙になっています。

評論:The New York Times, March 23, 2001, by Holland Cotter

CP1 CP3 CP4 CP5 CP6